『スカイ・クロラ』を見て、若い人たちに伝えたい事を勝手に受信してきたぜ
「エンターテイメント作品と言ってたのに・・・」 「若者向けと宣伝してたのに・・・」などなど怨嗟の声ばかりが聞こえてくる『スカイ・クロラ』だけどおれは好きだ、好きなんだ。「若い人に伝えたいことがあるらしいから来たけど、いつもの押井作品じゃねーか」と怒ってるオタは押井監督のメッセージをまったく受信できてないよ! 若者気分なだけで加齢臭を振り撒いてるよ! それにお前チェリーボーイなだけで30過ぎだろ。だが皮肉にも「いつもの押井」という反応自体、彼らがメッセージを受け取り損ねた証拠であると同時に、押井守の伝えたかったことを見えやすくさえしてくれるのだ。
今回の(も?)押井監督は登場人物にテーマを語らせてくれたおかげで「栗山千明の写真集でオナニーしたいなー」くらいの感想しか浮かばなかったオタですら、伝えたかった言葉そのものには気付けたかと思う。ラストで主人公がひとりごちるセリフ。
いつも通る道だからって 景色は同じじゃない それだけではいけないのか
つまらない日常でもあなた次第で世界は変わって見える。だから、あなたも生きぬいて。との前向きなメッセージをそこから受け取れるだろう。だけど押井守が伝えたかったことはそんな健康的な、惑星開発委員会の市民さんが言ってるようなことじゃないんだ!
そこで鍵となるのが「いつも」という言葉。押井作品が公開されるたびに繰り返されてきた「またいつもの押井かよ!」という我々の叫び。それこそが「いつも通る道」そのものではなかったのか。主人公のセリフ、すなわち押井守の言葉を少し変えるだけで本当のメッセージが我々に襲いかかってくる。
いつも使うテーマだからって 作品は同じじゃない それだけではいけないのか
若い人に伝えたかったことは「いつも同じような作品だけど、それじゃいけないのか?」ということ。つまり映画を通しての公開質問だったのだ。ある種の居直りにも取られかねない、だがゆえに真摯な問いかけに「またいつもの押井だよ」と返答してしまうオタはコミュニケーション不全に陥っている。映画を見にきた観客に自らの作家性の是非を問いかけてしまう監督の「それだけではいけないのか」に対して「いいです(><)」と返す以外の術をおれは知らない。
あとは思ったことをそのまま記述。
- 上司がロリであり痴女でもある
- うらやましい
- ボーリングのピンを指差して「あれ何に見える?」
- チンチンにしか見えない
- チンチンに反応してやってくる上司はやはり痴女
- そういえばあの戦闘機はチンチンだと監督自身がシンポジウムで言ってたな
- チンチンにしか見えない
- ロストック社の社章が気になる
- 魚に見えなくもないな
- 犬はそのまんまで、鳥は戦闘機で、魚はロストック社なのかしら
- パンフレット読んだら風俗嬢の刺青は魚とのこと
- だから社章もキャラに貼り付いてるのか
- 魚に見えなくもないな
- タイトル後、一番最初に出てくるのは犬。一番最後に出ていくのも犬。
- 「またかよ!」と殺意を抱かざるをえない
- 犬は押井作品にまたがるキルドレ
- 「またかよ!」と殺意を抱かざるをえない
- スローが使われるのは撃墜シーン・上司と娘が手をつなぐカットの二つ
- ピストル抑えながらキスするのと同じ意味か
- 今まで能面みたいな顔だった上司にラストでシワが
- 成長するかも、変われるかもってことかなー
- 「あいつを侮辱するな」の声がよかった
- プロペラの停止する形は何か法則性やら予告やら仕込んでるんだろーか
- 湯田川が死ぬまで戦闘機の離陸シーンは描かれない
- 英題は『The Sky Crawlers』と複数形
- プロローグとエピローグはまた別の『スカイ・クロラ』
- 最後のマッチ折りを音で表現して見せなかったのは、まぁそうだよなーと思った
- 手で死を再現するとことボーリングがよかった
- ボーリングの玉にブチ穴っぽいのがあった