アニメ『川の光』についての話

はいどうも。今日は2009年6月20日NHK教育で放送された、そして6月28日10時からBS2で再放送されるアニメ『川の光』についてのお話です。『川の光』の画面は不思議と「丸い」もので溢れています。図書館の窓に映る大きな満月。おばあさんが無くしてしまった指輪。主人公のねずみたちが丸まった姿。それらを私たちは自然に思い出すことができるでしょう。今回は『川の光』で「丸」がどのように機能しているのか、その正体は何なのかを探っていきたいと思います。

「丸」との出会い

川の光というタイトルが水の丸い波紋で消えるオープニングを持つこの作品で、主人公のねずみたちは多くの「丸」と出会うことになります。彼らが卵のように丸まって登場した時から運命付けられていたとも思える「丸」との遭遇によっていくつもの危機を乗り越えます。旅の直後に受けたイタチの襲撃を丸い穴の中で防ぎ、自転車の丸いタイヤに紛れ猫から逃げ出すことにも成功します。彼らを助けたグレンの声は自動車の丸いライトを浴びた直後に丸い下水管のパイプから聞こえてきました。もしかしたら「丸」は親子ねずみを救う守り神なのかもしれません。それを最も端的に表しているのはやはりバスからの脱出シーンでしょう。少し詳しく見てみましょう。
「太陽」のおかげで近くに川があると知ったねずみたちは「停車ボタン」の押される音を聞いてバスが止まったらドアから降りようと計画します。「信号機」が黄から赤へ変わりバスは止まりますが停留所でないためドアが開きません。「信号機」が青に変わるとお父さんは運転席のスイッチを操作してドアを開かせ子供たちを脱出させます。残されたお父さんは乗客の「開いた傘」に跳ね飛ばされて窓から飛び出します。窓が「幼稚園帽」を被った子供によって開けられていたのも幸いでした。飛び出したお父さんは通行人の差す「傘」の上をバウンドし坂を「転がり」川べりへ無事脱出を果たします。
画面の「丸」の連なりがねずみたちを川へと導いた感動的な場面です。目的の場所へ到着したお父さんの上にはそれを祝うかのように丸い雪さえも降りだします。『川の光』は「丸」に祝福されたねずみたちのお話として見ることもできるでしょう。では彼らを見守っている「丸」は一体なんなのか。その時、いささか突飛でロマンティック過ぎる妄想が頭に浮かびました。もしや「丸」はついぞ画面に描かれることのなかった、死んでしまったと語られるお母さんねずみが姿を変えて現れたものではないか。ということです。

「丸」を見つけるチッチ

牽強付会を承知で推し進めると、作中に登場する「丸」には女性をとりわけ「母親」を思わせるものがしばしば見られるのです。例えばおばあさんが無くしてしまった指輪はおじいさんからもらったものだと語られ、それは婚約指輪・結婚指輪を思い浮かばせます。弟のチッチが猫のブルーの乳首を吸ってしまうのも「丸」=「母」のイメージを強化させます。お父さんや子供たちのように「丸く」なれなくなったお母さんは様々な「丸」に生まれ変わることで彼らの旅を見守っているのではないか。そう考えると、ねずみたちの中でチッチだけに「丸」を見つける才能が与えられているのも「母」とよく似た姿を持つ彼に許された特権のように思えます。チッチが「丸」を見つけてしまうのはそこに「母」を見出してしまうからではないでしょうか。
と、ここまでは良いのです。しかし次の事実にどうも困惑してしまうのです。それが私に『川の光』を子供に見せたい・親子で楽しめるといった言葉で形容させることを拒ませる原因であり、またどこか惹かれてしまう理由でもあります。つまりチッチが「丸」を見つけるとその直後、死をイメージせざるをえない出来事が彼の身に降りかかるのです。普段はねずみたちを見守っているはずの「丸」がその時だけ牙を向くのです。一体どういうことなのでしょうか。チッチが「丸」を見つけ出す場面を振り返ってみましょう。

チッチの危機

はじめに見つけるのは「ペットボトル」です。丸い底の部分が画面に映っています。チッチは飲み口に頭を突っ込みそこから見える「丸」の世界に魅了されます。けれど頭を抜けなくなってしまい兄のタータに助けられるも、その後ペットボトルと一緒に川へ落ちて流されてしまいます。
次に見つけるのが「カップ麺」です。親子ねずみたちはそれを船として使い下水道をくだりますがチッチだけが水の中へ落ちてしまいます。助けを求めるチッチはお父さんではなく、なぜかそこに存在しないはずのお母さんの名を先に叫びます。
今度はおばあさんの家。赤い染料の入った「容器」です。チッチは自分の白い毛色を変えるために丸い蓋を開け中へ飛び込もうとしますがブルーの尻尾に阻止され「死にたいの」と一喝されます。赤い水の中に落ちると聞くと私は女性だけが堕ちるとされる血盆池地獄、いわゆる血の池地獄を想像してしまうのですがどうなんでしょうか。
さらにチッチはおばあさんの「指輪」も見つけだします。ここではチッチの身に危険は及びません。しかし私たちは聞き逃さなかったはずです。ブルーに対して「おばちゃん痛いよ」と発してしまった言葉をです。チッチはなぜ「今度言ったら噛み殺す」と警告された「おばちゃん」という禁句をここで発したのでしょうか。もちろん心優しいブルーは実際に噛み殺したりはせず「おばちゃん」を自称しさえもするのですがこの和やかな場面ですらも死のイメージがつきまとうのです。

チッチを救う方法

ここまでくるともはや「丸」は守り神などではなくチッチを亡き者にしようとする死に神にも思えてしまいます。チッチは「丸」を見つけられるというより「丸」に引き寄せられてしまう呪いにかかっているかのようです。私にはお母さんねずみがチッチを死の世界へ連れ込もうとしているように思えてならないのです。『川の光』が親子ねずみの旅のお話ではなく、母親に呪われたチッチを救うお話に見えてしまうのです。
終盤またしてもチッチは危機に陥ります。道路で立ち止まったチッチにバイクが迫る場面です。バイクにはやはり丸い計器が描かれ、丸いライトがチッチを包みます。そこをタータは指を銃に見立て「バーン!」とチッチを撃ち抜くことで彼を助けます。チッチを「殺す」ことで逆に救ってしまうこのシーンを思い返すたび『川の光』は実は怖い作品なのではないかとの一人震えてしまうのです。