ウメハラ、小足見てから余裕でした

桐島、部活やめるってよ』観てきたら面白かった。これ最後にマシンガン持った奴が乱入してクラスメイトを次々と射殺すれば最高なのになーって思ったら本当にそうなったので最高だった。でも一つ気になる所があって、作中で神木隆之介くんがゾンビ映画について熱く語るのよ。そういや『東京公園』でも榮倉奈々がゾンビ好きだったなーって思い出したんだけど、映画って美男美女の俳優にゾンビの魅力を語らせても大丈夫なメディアなの? だってこれのオタ.verを考えるとかなり悲惨な内容になることは火を見るよりも明らかじゃん。
例えばゾンビという三文字をコミケという言葉に置き換えてみる。そして美少女キャラクターがコミケについて熱く語る場面を想像してよう。性格はツンデレだ。なんならセリフも付けてみる。「コミケは日本の文化なんだからねっ!」お、おええーゲロゲロゲローで、でたー美少女のツラを借りて自己肯定を謀るオタが出ましたよー。『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』ですよー(半鐘を打ち鳴らしながら)。
もちろんコミケがゾンビより劣っているという訳ではない。コミケもゾンビも共に素晴らしい文化だ。走ることを禁じられた集団が不気味な速度を保ちながら移動するという親和性までも兼ね備えている。だけどオタが好きなモノを美少女キャラに言わせると、途端に透けて見えてしまう。これただ単にアニメキャラにオタの気持ち代弁させただけじゃねーかって。諺で例えるならキャラの威を借るオタク。文楽を批判した橋下市長の言葉を借りるならば「キャラを操っているオタの顔が出ているのがおかしい」ということになる。
そんなわけで我々はオタ趣味を持つ美少女キャラに対してことごとく死刑判決を下してきたじゃないですか。「エロゲーマニアの妹」ギルティ!「格ゲーがうまい下級生」ギルティ!「高校デビューに失敗した女子高生」ギルティ!「ネット用語を口走る美少女科学者」ギルティ! とキャラの魅力に多少の後ろ髪を引かれながらも、心は鬼にして13階段を登らせた訳じゃないですか。
それなのに、それなのにですよ、なぜ映画制作者は美しい顔をした俳優にゾンビを語らせることに何のためらいも持たないのですか。そりゃ神木くんにゾンビの魅力を語らせれば説得力も生まれますよ。でも実際にゾンビ映画を観に行くと神木くんみたいな美少年は見当たらず、ゾンビみたいな観客ばっかりじゃないですか。そして怖いモノ見たさで訪れた一部のカップルを喰い殺してるじゃないですか。ギルティ! ギルティ!!
おれは神木くんじゃなくて、その友達のおデブちゃんの口からゾンビの魅力を聞きたかったんだよなー。肥満した肉体を持て余して不自然に体を揺らしつつ「ゾンビがーロメロがー」と語って欲しかったんだよなー。と臓物をこぼれ落としながら映画を観ててそう思った。