ホップ、ステップ、カイバ

カイバ』DVD全4巻レンタルで見た。面白かった。のだけど、どこら辺が面白かったかと言えば自分でもよく分からない感じだ。なんとなく、体をうまく動かせない人たちの話だったからかなーとは思ってる。普通だと心をうまく動かせない人たちの話で、心の動きがそのまま体に伝わってしまう。だから五代くんは管理人さんとラブホテルへ行ってもオチンチンが大きくならなかったわけで、ちゃんと心の問題を解決すればカチンコチンになる。ペレに相談する必要もない。例えば悩みを抱えたまま巨大ロボットに乗り込んだパイロットがどうなるかは目に見えていて、兜甲児だってアムロ=レイだって碇シンジだって、あーシンジ君の場合は少し違うか。まぁ心が危ういと体も巨大ロボットもうまく動かせないのだ。例を変えると、オタが好んで使う「口ではイヤイヤ言ってるのに下の口はこんなに」という攻め句も、心が望まなければ体は濡れないというある種の神話がオタ世界では定説であるからこそ意味があるわけで心を蹂躙することによって体を、いやこれもなんか違うな。
うーん大雑把に言えば、アニメキャラは心と体がシンクロしていて心が主導権を握っている。だからメンタルケアさえ怠らなければ万事順調。美輪明宏に悩みを聞いてもらえば世界は救われるのだ。*1心と体を一致させて、というか本当は体なんて存在しないからこそ、体を完璧にコントロールしているかのように見えるためアニメキャラは人々を魅了するのだけれど、だから憎い、憎らしい。アニメを見ている、この愚鈍な肉体に支配されているおれは一体なんなんだ。といういつもの話。
だってそうだろう。おれはアニメキャラみたいにうまく体を動かせたためしがない。子どもの頃から逆上がりはできなかったし、のぼり棒にはのぼれない。すべり台にもすべれない。巨大ロボットを動かせるどころかAT限定だ。そのくせオチンチンは数学の授業時でも不意に大きくなってしまい、女子からは「どうせπって言葉に反応したんだろ」と侮蔑の言葉を浴びせられ、円周率で勃起する男という不名誉な通り名をつけられる始末。今だって好きな作品の魅力を書き連ねたいのにくだらない下ネタで誤魔化してしまうこの有り様だ。思い通りに体を動かせない。体を動かせないから心まで腐る。この体さえなければ、アニメの体をくれる星はどこにあるんだメーテル
だけど『カイバ』は自由に動かせるアニメの体ではなく、動かしにくい体を通して物語ろうとする。画面に映るのは、体を自由に換えられるサイバーパンクな設定から思い浮かぶ、様々な体を華麗に乗り捨て縦横無尽に活躍するキャラではない。体を乗り換えられるがゆえに体の呪縛から逃れられなくなってしまった人たちだ。そしてそんな体と格闘する姿が魅力的なのだ。乗り替えた体に慣れず立ち上がることのできない足や、発音できず「あーあー」言うだけの声や、おしっこすらまともにできずあたふたする様子が頭から離れない。普段は自分をイライラさせるだけのコントロールできない体にどうしようもなく惹かれてしまう。現実の人たちのように体を持て余す登場人物を見ていると、それはそれで悪くないのかなーという気分になるのだけれど、そんなことすらアニメに教わらなければならないのか。なんなんだおれは。
そんじゃ『カイバ』の世界では体をきちんと動かせれば心も安泰なのかといえばそうじゃなくて、心すらも取り込んでしまう体の怖さを描いてるところが『Vガンダム』と似てるのかなー。殺せるのなんかなにも偉くないしなー。そこらへんと写真の演出について書こうかと思ったけど、長くなったので暇な時に。

*1:ツンデレは心と体が一致してないように見えるけどアレは精神疾患だ『百舌谷さん逆上する』を読め。と以前言われたので読んでみよう