自慰からはじまる愛があったっていいじゃないか

声優好きが高じスターチャイルドからキングの称号を授与されたH氏の人並み外れた声優愛に直面すると、その分野に暗いおれですら、愛する声優の一人や二人決めておかないとこの先オタとして生き残れないなーとの焦燥感に駆られてしまう。もちろん声優に興味がない訳ではなくて、最近では『こんなこいるかな』の玄田哲章氏は素晴らしいなーと一人感動をかみしめたりはしているのだけれど、いかんせん好き止まりで愛にまで昇華されないんだよなー。うーんどうすればよいんだ。どうすればおれも声優を心の底から愛せるようになるんだ。誰かlikeをloveにする反応式を教えてよ。
そこで頭に浮かんだのが吊り橋理論に代わり世間を賑わしつつあるあの理論。そう、オナニーからはじまる愛理論だ。今までとくに意識してなかった娘でも一度オカズにしてしまうとあら不思議。翌日会うとドキドキが止まらない。目すらまともに見られない。息があがり、手にはじんわりと汗がにじむ。なんなんだこれは、愛なのか。そうさこれが愛さ。この理論を活用しない手はない。オタが二次元キャラで手淫に耽るのも、キャラをもっと愛するため、そして愛し続けるため。オタの自慰はエタニティリングの代わりなのだ。指輪をはめる肉体を持たない恋人のために己の男根をしごき続けるのだ。
そんな訳でさっそく平野綾の水着写真をオカズにしてみたのだけどあんまドキドキしないなー。なんでだろ。やっぱダメなのか平野じゃ。と思ったが、この理論はオカズにした娘と会ったり話しかけられた時に生じる罪悪感を恋愛感情に変換させるテクニックなので身近な人じゃないと意味がないんだ。別名、遠くの美人より近くのブサイク理論なのだ(最近『ふぞろいの林檎たち』の1話見たら中井貴一がデブでブスの中島唱子に欲情してしまったショックで風俗へ行く話で思わず涙してしまった。オタにとって決して他人事ではない話だ。)。実際に会うことのない声優じゃ意味がない。損した、精子損した。
てーかそんなことしなくても単に好きなキャラの声やってる人を選べば良いだけじゃん。と気付いたので、ちょうど今視聴中の『ぱにぽにだっしゅ!』から選ぶことに。どれにしようかなーうーん。やっぱウサギさんだな。そんじゃウサギさんの声優さんを愛すことにしよう。よーし、これでおれも声優オタだ。これからはこの声優さん目当てでアニメを見るぞー。そんで他のライバル声優に対し○○は枕営業で云々とか××の顔は室町初期の能面に似ているとか言いまくるぞー。と思いながらウサギさんの声優名を調べたら「山崎バニラ」の文字。あれーどっかでみたことあるなーって活動弁士の人だ。一度テレビで『のらくろ』の弁士やってるの見てて上手いなーと思ったわ。と色々経歴を探ってみたら澤登翠氏に師事していたのか。なるほど上手いはずだわ。
まぁとりあえず今放送しているアニメで山崎バニラ氏が声をあててる作品を見まくるぞーと息巻いてみたが、どうも『ドラえもん』だけっぽいな。しかもジャイ子担当。ジャイ子って数ヶ月に一度でてくるかくらいのキャラだよなー。うーん声優の神はおれにアニメを見せないつもりか。おれの声優オタライフも第一歩目からつまづいてしまったなー。やはり声優道は茨の道だ。