イデオン発動篇を∞倍楽しく見る方法!!

ここ最近は「家で見たことのあるアニメ映画を映画館で見る」というテーマで日々を過ごしていて、もちろん「ヴィデオやDVDに注がれる安全な視線は映画館でのそれと明らかに異なるよねー」と講釈を垂れ他のオタに差をつけるためなのだけれど、困った。確かに家で見るより面白いのだけれど理由が説明できん。それに映画館の方が絶対的に良いと言えるほど差異も見つけられんのだよなー。うえーん、これじゃオタを見下せないよー。どうせ今回もそんなかんじなんだろうなーと憂鬱な気分で富野由悠季オールナイトへ向かったのだが、違った。映画館で見た『伝説巨神イデオン発動篇』はDVDと全く違う。すごい、すごすぎるぜイデオン
最前列で見たかったのだけれど席が埋まっていたため前から二列目に着席。スクリーンを仰いだ状態での受容。これが良かったのか、家で見た時よりもキャラクターの気持ちがビュンビュン伝わる、感情移入できる。まるで自分がスクリーンと同化したような一体感。大画面のおかげなのか、いやでもおれ普段から42型テレビに近付いて見てるしなー。画面サイズはあんま関係ないか。それじゃ何が違うんだ。映画館での受容と家での視聴。いつもと違うこの感覚はどこから生まれているんだ。
と思いながら見ていたら今度は体が痛い。映画館で見ると痛覚すらも感じるのか、ってそれは変な格好で見てるからだ。前の席に座ったせい。ん、今の自分のこの姿勢。スクリーンが近すぎるため不自然に上を見つめるこの姿。そうだ、これは湖川アオリ! そして視線の先に映るのは同じくアオリで描かれた登場人物たち。そう、我々は気付かぬうちにイデオンのキャラクターと同じ姿を強いられていたのだ。アオリのまま1時間半拘束される私たちは、安全な位置からスクリーンを見つめる観客ではなく、湖川友謙によってデザインされたキャラクターそのものだ。スクリーンに映っているのは自分と関係のないアニメキャラではなく我々自身なのだ。普段と違う感情が生まれたのもそのためか。
もはやあのキャラデザは映画館に来たお客さんとキャラクターを同一化させるために仕組まれた罠にしか思えない。その上、あの骨格だからこそ成立するヘルメットの挿話が胸に響く響く。『伝説巨神イデオン発動篇』を本当に楽しむためには、映画館の最前列で見るか、テレビを神棚に置いて下から見るかしか選択肢は残されていない。なんてこった。
上映終了後、前から二列目でこの迫力なのだから最前列の人たちにはさぞかし素晴らしい体験だったろうなーと羨望の一瞥を向けると、そこに座っていた人たちの姿が消えている。驚いて座席に駆け寄るとそこには彼らが着ていた衣服だけが残されていた。どうしたことだ。もしや上映中に人造人間セルが、いや違う。彼らはあまりにも顔をアオリすぎたためキャラクターと完全に同化してしまったのだ。そしてイデの力に肉体を持っていかれた。シンクロ率400%に達したシンジ君が溶けてしまったのと同じ状態だ。アニメを見ることはこれほどまでに危険な行為だったのだ。
残された衣服を荼毘に付した後オールナイトは再開されたが、燃える服を眺めながら不意に浮かんだ「彼らはこうなることを知っていたのではないか」との考えが頭から離れなかった。いや、そんなことはありえない。だがすでに灰と化した彼らの服を目の当たりにしても、最前列に座りたかったという私の思いは消えるどころか刻々と大きなものになっていくのを否定することができない。もしかしたら自分もいつか最前列に座ってしまうのではないか。そして彼らと同じように。アニメ受容の困難と恐ろしさを再認識させられる恐ろしいイベントであった。