『けいおん!』の主人公はギターが上手くなりすぎると死ぬ。

けいおん!』二話まで見たんだけれどおもしれー。おもしれーにも色々種類があるけど2009年の今やるとこうなるよなーという感じの面白さ。具体的に言えば主人公がギターなんかどうでもいいと思っている所がよい。ギターは部員と仲良くなるためのツールであって、人生において必要以上のウェイトをかける気は皆無なのが素晴らしい。彼女にとってギターは交換可能なものにすぎない。だから二話でギターを買いに行く途中で服屋へ向かうし犬も触る。もし雪山で遭難するエピソードが出てきたら彼女は何のためらいもなくギターを薪にして暖を取るだろう。「このギターを燃やすくらいなら凍死する!」というパンクな選択肢は選ばない。恐らく選択肢すら出ないのではないかという気さえしてくる。軽音部に入部を決意した理由も武道館ライブを目指すためではなく部員の演奏が下手だったから、バンド活動に身も心も捧げているヨハネ・クラウザー二世のような人がいなかったからなのも象徴的。
そんで普通だったらギターが主人公にとってかけがえのないものへと変わっていく過程を描いた作品になるのだけど『けいおん!』はギターに熱中することや演奏技術の向上が主人公の幸せには直結しない感じがして、そこらへんがビリビリ来るんだよなー。『けいおん!』はギターと友達以上恋人未満の関係を維持していく作品になるんじゃないかなーという気がする。ギターが他人 = 興味ゼロになってもダメなのは当然として、熱中しすぎてギターが恋人に = 離れられない存在に変わってしまってもダメ。ゲームで例えると「主人公は人間と魔族のハーフなのでステータスを上昇させすぎると魔の血が暴走して死ぬ」みたいなの。

熱中度:低→技術力:低→演奏:失敗→バッドエンド
熱中度:中→技術力:中→演奏:成功→グッドエンド

は当然として

熱中度:高→技術力:高→演奏:大成功→だけどバッドエンド

もあると思うんだよなー。文化祭が終わり興奮冷めやらぬ主人公が「専門行ってもみんなでバンド組もうね!」って言ったらみんなから「いや私は大学行くし」「もしかして完全プロ志向(笑)だったの」「ウケルー」と言われるエピローグ。主人公は顔面を白く塗りヘビメタバンドに転向するオチ。
友達とまったりする日常とギターを演奏する非日常のウェイトを5:5じゃないな7:3くらいに保たないと非日常が暴走して日常を侵食してしまう。ってこのテーマって魔女っ娘モノに多かったような。キュアドリームも自分の夢を見つけるための一時凌ぎでプリキュアになったのに話が進むにつれどんどん学園生活シーンが消えていったしなー。まぁ世界の平和を守るのと学園生活じゃ前者が勝つわなー。『けいおん!』ではそこんところギターと学園生活のバランスを上手く取ったままエンディングを迎えて欲しいなーと思ったり。
あと視聴者の反応見てると若オタに大人気だけどオッサンオタからは微妙っぽいのは頷けるなー。オッサンオタは当然人生において過剰なウェイトをオタであることに費やしてて、他のヌルオタに「もっと他のアニメ見ろよ!」とか「もっとスタッフの名前覚えろよ!」と怒声を浴びせたのと同じく「もっと練習しろよ!」と液晶画面にツバを飛ばしながら叫んでるんじゃないだろうか。しかし『涼宮ハルヒの憂鬱』を見てアニメに深くハマるオタより外へ出てダンスを踊るオタの方が正しかったように、今『けいおん!』にハマっているオタは主人公と同じように必要以上のこだわりを持たず、放送終了と同時にデスクトップ画像を他のアニメキャラに替えたりテーマ曲CDを押入れに仕舞ったりした方が正しいよ。いやだっておれの周りにはアニメが好き過ぎたせいで留年したり中退したり卒業しても無職だったりする人間が多すぎる。そんなの間違ってるよ!