不健全な僕が健全育成条例について語ろう。

東京都青少年健全育成条例改正案が盛り上がってたんだけど何かイマイチ乗りきれねーなー。なんでだろー。「毎年のように繰り返されるポルノ規制の議論に飽き飽きしてるから?」何かオリンピックみたいだよね。「矛先が自分へ向けられた途端、石原都知事を叩くオタにゲンナリしたから?」前まで閣下閣下言いまくってたよね。「最近めっきり性欲が減退してきたから?」いやーまだまだ現役ですよ。最近だと『超変身!アニメコスプレックス 並木優』が良かった。下品な乳首がすごく良かった。と自問自答している間に可決してしまった。終わった! 日本のオタ文化は終わった!(絶望先生) 
今回の戦いを遠くから見てると、オタ側は犯罪の統計や限定効果説などデータや科学的根拠で規制の効果に疑問を呈するのに対し、都側は「子供たちを守りたい! あとオタキモイ!」という感情論で動いてるのかなーって印象。特に都知事の過激な発言とか見てると。
そんで冷静な意見VS感情という戦いに持ち込まれてしまったことこそが敗因だと思うんですよー。というのはオタの世界においてデータや科学的根拠を出して戦うことは死を意味するわけです。努力・友情・勝利を著しく不当に賛美している雑誌に連載されていた『ドラゴンボールZ』を例に挙げると「私の戦闘力は53万です」と客観的データによる優位性を示したフリーザや「サイヤ人の王子であるオレサマ」と遺伝による優位性を示したベジータは共に孫悟空の理不尽なパワーアップにより敗れてしまう。戸愚呂(弟)は100%中の100%を出しても負けてしまうし、起動確率が0.000000001%のエヴァンゲリオンは動いてしまうし、一台12億円の戦車は踏み潰されてしまう。
私たちはデータや数字が裏切られ敗北していく場面を数多く見てきたはずです。「なにぃ計算上ありえん!」 「私を倒すのは不可能だ!」という発言は敗者にのみ、悪役にのみ許された身振りなわけです。初代プリキュアなんて毎回「絶対にあきらめない!」という何の根拠も無い発言で勝ってたし。データや科学的根拠は感情の前に屈する運命にあるというオタが一番良く知っているはずの法則を忘れさせ、敗者の身振りを演じさせた石原慎太郎。さすが芥川賞作家は違うぜ!
それでは「子供たちを守りたい!」という感情にどう戦えば良かったのかといえば、こちらも感情で勝負。「子供たちを犯」おっと危ない。ワナに嵌められるところだった。芥川賞作家は狡猾だぜ。「こども店長を殴」おっと間違えた。トヨタのCMが流れたもんで。「自由なオナニーを!」これだ。これしかない。次の法案はこのスローガンで勝負だシンタロー(南国少年)