スカイリムは人生

自由だフリーダムだと評判のThe Elder Scrolls V: Skyrimを買ったぜ。面白いぜ−。遠くに見える山に向かって歩くだけで面白いぜ−。いつの間にか麓について書き割りだと思ってた山に登れちゃうのが面白いぜ−。その峠を越えた先に新たな街を発見した時なんて面白すぎるぜ−。でもこのゲーム本当に自由なのかと問われればちょっと疑問。だってアイテムを整理する自由さえないんだもん。アイウエオ順固定のせいで剣・弓矢・兜・弓・弓矢・鎧・弓矢・弓矢と無秩序に装備欄が埋まるのスゲー不自由。『スカイリム』の民はタロス崇拝の禁止よりアイウエオ順の強制に怒れよ。それに街では家屋に入る度ローディングするのも嫌なので外にいる人とばかり話してる。それならPC版を買ってMODを入れろって意見は分かるんだけど、ハイスペックPCを買わなければ手に入れることのできない自由とは一体何なんだ。自由の代価に金が必要だなんてそんなの人生と同じじゃないか。
あーでもよく考えれば自由じゃないのは『スカイリム』じゃなくておれの方だ。自由なプレイを全然してなかったわ。犯罪がバレてお尋ね者になったら即ロード、一緒に旅する従者が死んだら即ロードとやり直しばっかりしてたのよ。死亡とロードを繰り返し何十回に一度の確率で産まれる完璧な動作を積み重ねて敵を殺すFPSや、失恋とロードを繰り返し完璧な選択肢をチョイスしてあのコを落とすADVばっかり遊んでたのも影響してるのかもしれない。まぁ久々のRPGなのだからたまにはやり直さないプレイもしてみよう。とロードを禁じるプレイしてみたらこれが正解だった。
ピッキングしている所を見つかって前科が付いても気にせず、愛馬が死んだらその肉で馬肉のローストを作って弔い、スリがバレて襲ってきたNPCを従者が殺してもその罪を受け入れ、突然現れたドラゴンが村人を喰っても『八つ墓村』や『ひぐらし』よりはマシだろうと運命を受け入れる。ああ、これだ。これこそおれの求めていた自由。完璧なプレイを諦める自由! その快感に身を委ねながら何事にも縛られない行動を貫いた結果、いつの間にか従者は消え、樽に入れてた全財産も消失。最終的には無一文で一人ぼっち、街に入れば衛兵に追い回される男を操作していた。あれ、この男どこかで見た覚えが。金もなく恋人もいない、街を歩けば警官に職務質問される男をおれは知っているぞ。てーかおれだ。コイツはおれだ!(三船敏郎)そういえばおれもいつの日からか真っ当な人生を諦めていた。そして気付いたらおれの人生と『スカイリム』のプレイが重なってしまった。なんて恐ろしいゲームなんだ『スカイリム』自由の代償とはなんて重い物なんだFus Ro Dah!
そんな人生と似てしまった『スカイリム』だけどゲームはいつか終わる。バグで解除されなかった実績が最近ようやく直ったので、それをゲットしてゲーム終了としよう。自由自由言っときながら実績には縛られてしまう己の矮小さもまた愛おしい。そもそもロード禁止してる時点で全然自由じゃないし。ただその残った実績「大罪人」が各都市で人を殺しまくって獲得する実績なのがちと問題。別にゲームで人を殺すのに抵抗があるわけじゃないんだけど、プレイと人生を重ねてしまったので大量殺戮して『スカイリム』を終えるの何かすごく後味悪い。卒業文集が晒されそう。なので「結婚」の実績も残しておいて、罪を犯したその足でプロポーズ。衛兵の攻撃を受けボロボロになりながら教会に辿り着き、結婚式を挙げ誓いのキスで実績1000到達。やったぜ。おれも結婚できたぜ−。プロポーズを受け入れてくれた狩猟の女神アエラさんマジ女神。教会の外では衛兵がうようよしているけれど今はただつかの間の幸せを噛み締めていたい。